久しぶりに実家に帰省した。
とは言っても、数時間の短い滞在。
ちょうど父親が生まれて初めての手術を控えて入院していたので、
良いタイミングで顔を見せられて良かった。
朝、母と病院に行き
いつもはキリっとしている父の 珍しく弱々しい姿に
思わず二人で笑ってしまいながら手術室に見送る。
待機中、待合室で母としばらく会話したり、
最近勉強しているというネパール語の書き方を教えてもらっているうちに
私は仕事に向かう時間になってしまった。
ストールを巻いてカバンを持って立ったら
「あ、これ好きでしょ?電車で食べる用に持ってっていいよ」と言って
母がさっきから食べていたグミの残りを渡してくれた。
よく別れ際にエプロンのポケットに入っているものや
近くにあるお菓子を手渡してくれていたおばあちゃんを思い出した。
ちょっと適当に渡してくる感じも、似ているなぁ。
ありがたくグミを頂いてバッグに入れたものの
電車の中では寝てしまい存在を忘れていて、
仕事がひと段落した夕方頃に ふと思い出して取り出した。
封を開けると、くしゃくしゃとゴミのようなものが詰め込まれていて
肝心のグミが見えない。
どれだけラフな母なんだ、と思いながら
ゴミのようなものを取り出したら、母の字がみえた。
広げると、さっき教えてもらったネパール語の名前と
いつも描くゆるいイラストと、
帰ってきてくれてありがとう、という短い手紙が書かれていた。
ずっとグミを食べているのを目の前で見ていたのに
いつの間にこんなものを仕込んでくれていたのだろう。
人が目の前にいっぱいいる場所なのに、泣きそうになった。
手に持っている普通のグミが、
元気玉のように いざという時の為にとっておきたいほど貴重なものに思える。
悔しいけど、母のさりげないお茶目な気遣いには 一生適う気がしない。
こうやって年々母への尊敬が増すばかりで、私はやられっぱなしだ。
マザコン、ならぬ マザソン。
到底適わないけど、この気持ちは忘れずにいよう。
いつもありがとう。